現代表取締役である片岡が三重県鈴鹿市大池にオープン。
「de”LIGHT」とは歓びの意。この言葉には人を歓ばせる、楽しませるという意味も含まれており、オートバイを通じてお客様と歓びを共有したいという理念がこの店名に込められています。
当初からドゥカティをはじめとしたイタリア車の販売およびカスタム、オリジナルパーツの開発、販売を行っていました。当時はF1用のステップキットやスイングアーム、アルミハンドルなどをラインナップしていました。その後ディライトはドゥカティ正規ディーラーに認定されました。


ドゥカティにこだわり8耐に参戦。
当時最新であった「888CORSA」で参戦を試みました。その当時ドゥカティは耐久レースの実績が乏しくデータもありませんでしたが、手探り状態でレーサーを完成させ、28位で完走しました。当時の8耐は今と違ってエントリー台数も多く[MSOffice1]、予選を通過するだけでも大変なことでした。1993年の優勝はカワサキのスコット・ラッセル、アーロン・スライト組で、出ている面子も超有名ライダーばかりでした。2位はエディー・ローソン、辻本組、4位にドゥーハン、ビーティ組、7位にバロス、8位にはケニー・ロバーツJrが完走しています。当時のことを知らずともこの名前に聞き覚えのあるほどの有名ライダーばかりです。


現住所の鈴鹿市住吉へ移転。
ドゥカティはもとより、モトグッチ、カジバなどの正規ディーラーに認定されました。
またビモータの輸入も行っていました。


ドゥカティを走らせて勝ちたい。という気持ちでスーパーバイク選手権に参戦しました。マシンは「955CORSA」。
よい結果は出ませんでしたが、この参戦は少しでも多くの人にドゥカティの魅力、素晴らしさ、そして勇敢な姿を知っていただけた参戦となりました。タンブリーニデザインの車体は当時奇抜そのもので、誰もが憧れの的でした。そんな「955CORSA」、すなわち916〜998のあのデザインは今でも多くの人を魅了して止みません。ディライトはこの参戦を機に多くのパーツを開発いたしました。そのパーツの多くは現在も生産、販売されています。



当時ヨーロッパで人気を博していたシングルレース。
DUCATI社は最新のシングル市販レーサー「SUPERMONO」を製作しました。
この車両はレーサーのみの販売で、一般には販売していないモデルです。
この「SUPERMONO」をいち早く入手し、国内のシングルレースにも参戦いたしました。


年々進化していたドゥカティは我々に希望を与えてくれました。
この年から始まったSS600選手権に「748SPS」で参戦。初戦で3位入賞し、ドゥカティのポテンシャルの高さを実証しました。
また、このレーサーを作製すると同時に多くのパーツが開発されました。レース用のカウルやチタンフルエキゾーストなどが製品化され、これらのパーツは「少しでも軽く、少しでも速く。」とメカニックが作製した懇願の作品です。このようにディライト製品はレースなどの経験を生かし、機能が向上するための製品作りを心がけています。


この年からST600クラスは全日本選手権に格上げされ、ディライトは初のストックレース参戦を試みました。「748R」をベースにレーサーを作製しました。結果は芳しくありませんでしたが、厳しいレギュレーションの中でより速く走るための技術を磨くことができました。




2005年11月26日。三重県唯一のドゥカティストア「ドゥカティ鈴鹿」をオープン。



ドゥカティ鈴鹿のオープンから半年後の4月に2店舗目のドゥカティストア「ドゥカティ東名名古屋」を名古屋市名東区にオープン。